いのちをめぐるエッセイ其の17  トランプ パリ同時多発テロ

「私は君たちに憎しみの贈り物をあげない。君たちはそれを望んだのだろうが、怒りで憎しみに応えるのは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは私が恐れ、周囲に疑いの目を向けるのを望んでいるのだろう…それなら、君たちの負けだ。私はこれまでと変わらない。」
昨年11月13日に起きた「パリ同時多発テロ」で妻を亡くしたフランス人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんの言葉にお釈迦様の一句が重なる。

 「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みをすててこそやむ。これは永遠の真理である(法句経)」

当時、ダライラマ十四世はテロについて以下のように発言した『我々は、祈るだけではこの問題は解決できない。私は仏教徒であり、信仰を信じている。問題を作り出したのは人間なのにも関わらず、問題の解決を神に委ねることは論理的なこととは言えない。神ならばこういうかもしれない「問題を作り出したのは人間なのだから、自分たちで解決しなさい」と』

神仏を恨んではいけない。人は自らの内に悪を引き起こす種を持っていることに無自覚でいれば、人を傷つけ苦を生み出すことにも無自覚である。真の信仰を持つということは、他ではなく自らの内に悪の心が存在することを自覚することである。外に敵を作り、自らを正当化することは仏教徒としては戒めなければならない。

一方で、「はてこの私は?」と自問してみる。いや、この自問こそが大切なのかもしれない。自らの至らなさを知ることで阿弥陀仏の慈悲の光明と出会う。

「我この傷痛む。人また痛まざらんや。我この命を惜しむ。人あに惜しまざらんや」法然上人のお父上は夜襲をかけた相手を恨み仇を打つ事を戒めて息を引き取った。
“愚者の自覚”を促した法然上人の時代から科学万能の世に到っても人の心は何ら進歩していない。
自らの愚かさを知らない者が最も危いことを、この私自らが自覚しなければならない。

あれから一年。アメリカの次期大統領にドナルド・トランプ氏が決まった。世界は大きく動いている。時代の波に飲み込まれぬよう、自らの片足はしっかりと仏の世界に着けておきたいものである。

トランプ

トランプ パリ同時多発テロ

いのちをめぐるエッセイ其の17