宗教と無宗教 ⓶ なぜ人を殺してはいけないのか? 伊集院光 なぜ人を殺してはならないのか

なぜ人を殺してはいけないのか?

(…続き)
 すこし前になりますが、「なぜ人を殺してはならないのか?」という若者の問いが話題になりました。これに対して大の大人たちは困惑しながらも様々な場で議論になったことを覚えている方もいるでしょう。
 この議論に関して、高名な文筆家や哲学者の方が一生懸命に答えを導こうとされましたが、残念ながら結局どのような結論に達したのか私にはわかりません。いや、それは私の勉強不足によるもので、仮に誰もが納得し得る理屈というものが既に導けているかもしれません。しかし、もしそうであるならば今の世の中から殺人は無くなっているはずです。 
 いや、納得し得る理由があっても、人は理屈だけではコントロールできないという生き物なのではないでしょうか。目の前の人に人を殺してはならない理由をいくつも並べ、「はい論破!」と言ったところで、カッとなった相手に「うるさい!」と殺められてしまう可能性はあるのです。
 「なぜ人を殺してはならないのか?」という若者の問いに、「そんなことダメに決まってるだろう!」とタジタジになってしまう大人が殆どでしょうが、しかしこの「理屈じゃないけど、悪いものは悪い」、「とにかく気持ちが落ち着かない」という身体感覚(?)のようなものが具わっているということはとても大切なのではないでしょうか。そして、このような感覚というものは、幼いころからの宗教的な環境において涵養されていくのではないかと(我田引水ですが)感じております。

 人の心は理屈だけではコントロールできないものです。勿論、知性をフル稼働させて自分を戒めることも大切ですが、知性を持った人だけが間違いを犯さない訳ではありません。人は弱く、間違いを犯しやすいものです。自らの犯した(或は犯す)罪を合理化することにだって知性は役立つのです。知性でもって、人を殺めてはいけない理由はいくらでも挙げられるでしょうが、逆に人を殺めて良い理由も同じ数ほど考え付くのが人間というものです。 「理屈じゃないけど、悪いものは悪い」、「とにかく気持ちが落ち着かない」という理屈を超えた身体感覚が歯止めになることだってあるのです。
 何度も言いますが、これはその人が育つ環境のなかで培ってゆくものなのでしょう。その意味で、伊集院光さん型の「無宗教」(勝手に命名させて頂きました)を宗教者は無視してはならないのだと思います。
 私達僧侶はとかく「無宗教」を一括りにして否定的にとらえる傾向がありますが、様々なお考えがあることはしっかりと認識しておかなければなりません。いえ、日本人的なこのような宗教「的」感性をもっと自覚的にとらえ、大切に育んでゆくことが私たちの役目なのではないかとさえ思っています。

 

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