宗教と無宗教 ① 日本人と無宗教 伊集院光 無宗教

日本人と無宗教

 タレントの伊集院光さんがラジオで発言したことがインターネットの掲示板で話題になっていました。内容は、「私は無宗教だけど、お地蔵様を蹴とばすことは出来ないし、期限切れのオニギリを踏みつけることは出来ない、これってなんなんだろうねぇ」というようなものです。これに対して、若者たちの書き込みがほぼ共感のものでした。「平気でお地蔵さんを蹴とばすことができるような世代が出てきたら日本はお終いだな」、というような書き込みがありました。何とも頼もしいことです。

 現代の日本人の多くは「無宗教」を標榜します。しかし、これは伊集院光さんのようなお考えの無宗教ということでしょう。自分の宗教的な感性というものが、○○宗であるとか、○○教という教えにカテゴライズされることを嫌うのかもしれません。また、彼らにとっての「宗教」とは、自分の信仰を絶対とすることで他者の信仰は絶対に認めないという独善的で排他的な姿勢に感じるのかもしれません。別の言い方で言えば他の立場や信仰をリスペクト出来ないという姿勢です。
 つまり、無宗教を標榜する多くの日本人にとっての『宗教』とは、自身の信仰と反するからと言って、「平気でお地蔵様を蹴とばし、米粒を大切にしないと目がつぶれるなんていう迷信なんてバカバカしいと言って、平気でオニギリを踏みつけること」を当たり前に出来てしまう危険を孕んでいるもの…と映るのかもしれません。
 日本人の多くは宗教に寛容です。寛容だからこそ、他の信仰を認めないという宗教の持つある種の不寛容を許容できないのです。勿論、無宗教という人のなかには、「神仏なんているわけがない」、「死んだらお終い」、「葬式なんてくだらないものは必要ない」、「石に手を合わせるなんてバカバカしい」「宗教なんて弱い奴が信じるものだ」という姿勢の人も居ます。しかし、このような排他的で他の信仰を尊重しない頑なな物言いは、彼らが忌み嫌う「宗教」の最も悪い面において同質のものにも感じます。
 「無宗教」と一括りに言っても、宗教に寛容ゆえの無宗教の立場もあれば、宗教に不寛容な意味での無宗教もあるということです。

宗教、無宗教

伊集院光 無宗教

宗教と無宗教 ①日本人と無宗教