お葬式をめぐるエッセイ 其の15 供養について②「供養はしないでほしい」 供養はしないでほしい グリーフケア

供養について②「供養はしないでほしい」

私が亡くなったら「供養はしないでほしい
最近ではそのような言葉もよく耳にします。

「供養」という言葉は、サンスクリット語のプージャー(pūjā)の訳で、辞書には「尊敬をもって、ねんごろにもてなすこと」「宗教的偉人などに敬意をもって資具などを捧げることをいう」とあります(「岩波仏教辞典」より)。

つまり、私が亡くなったら供養はしないでほしいということは、「私が死んでも尊敬をもって、ねんごろにもてなさないでほしい」ということになるでしょう。
しかし、亡き人に敬意をもつことももたないことも、それは残された人々の主体的な感情であり、亡くなる人がその感情を指示することも強要することも出来ない筈です。

大切な人に特別な感情を抱くことは当然のことです。
そして、それは死を以ってお終いになるわけではないでしょう。
愛する我が子を喪った親が、その子の死を以って愛しむ感情を捨てることは出来るでしょうか。
「可愛い子だったわ」「楽しい想い出だった」などと過去のことに出来るでしょうか。
その子の死によって、その存在は更に「かけがえのない」ものと感じる筈です。
「尊敬をもって」という言葉は違和感があるかもしれませんが、相手との関係性によっては「敬意を持つ」でも「かけがえのないものと感じる」でも、「愛している」でも意味は同じだと思います。
相手に対して抑えきれない特別な感情を抱くことをそのままに表現すれば良いではないですか。

日本人はこのようにして亡き人を特別な存在として「供養」してきました。
たとえ相手が亡き人でも、現在進行形でその思いを伝える術を持つのです。
そして、これは残された人々の悲嘆の感情にも大切なことなのです。
グリーフケア(グリーフサポート)には思いを抑え込まずに吐き出すことが必要です。
辛い感情も、感謝の気持ちも、供養というかたちをとって亡き人に表現することができるのです。
供養はしないでほしい」とは、残される人のそのような心情の発露を閉ざしてしまうことにもなりかねません。
故人の言いつけ通りに供養をしなかったことは後悔となり、後になって寺に相談に来る方も少なくはありません。また、自分たちの思いから供養をしたが、故人の言いつけを守らなかったことで後悔をする人も居ます。

供養はしないでほしい」という人の「宗教嫌い」も理解できます。しかし、もしそうであるならば「(残された)あなたたちの思うようにしていいんだよ」で良いではないですか。

言い遺した言葉が、その人の死後も残された人々の心を(それこそあなたが思い描く宗教のように)支配し続けることになりかねないことを念頭に置くべきです。
そのような人々をケアする術は、亡くなった人にはもう出来ないのですから。
残された人は、故人に対して果たされなかった思いや、後悔の念を永遠に解決できない問題とせずに、「供養」を通じて亡き人と関係性を持ち続けることで「折合い」をつけて行くことも出来るのです。
供養はしないでほしい」とは、その恢復に向けての物語も時間的猶予も残される人々から奪ってしまうことになりかねないのです。

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