お葬式をめぐるエッセイ 其の13 Amazonの僧侶派遣 ② アマゾン お布施

Amazonの僧侶派遣 ②

さて、話は当初のAmazon(アマゾン)に戻りますが、果たしてここから派遣されるお坊さんはどの様な立場で派遣されて来るのでしょうか。
僧侶個人で活動しているならば当然お布施は彼の所得として申告されるのでしょう。Amazonが仲介するのですから、中間マージンを抜かれた金額が支払われるのでしょうか。
或いはAmazonがお寺のようにお布施を集めて、そこから報酬としてお坊さんにいくらかが支払われるのでしょうか。どちらにしても、そのお坊さんたちは自身の生活の為にお布施を頂くということですね(勿論、それを批判するつもりはありません)。

中には、地方の疲弊したお寺を維持する為に泣く泣く派遣登録をするお坊さんもいるかもしれません。実に涙ぐましいことです。そのようなお坊さんが派遣されて来たら、お気持ちのある方は是非定額以外に本当の意味で「布施」をしてはいかがかと思います。

勿論、お寺を持っていない僧侶が悪いお坊さんではありません。お寺が無くても志の高いお坊さんは沢山います。ただ、必ず所属寺院というものがある筈です。中には何宗のお経でもあげますと葬儀社さんに売り込んでいるお坊さんもいると聞きます。誰でも良いというのならば素人でもお経はあげられます。そのような人に何万円もの大切なお布施をすることは果たして顧客満足としていかがなものでしょう。供養して下さるお坊さんがどのような素性の方なのかをちゃんとチェックできなければ可笑しな話です。
とにかく、「運ばれてくる」お坊さんがどのような人なのか見極めることは、消費者であるのならば当然のことです。商品やサービスは均一であり、産地なりスペックなりが情報開示されてこそ定額制も機能するのでしょう。供養の場に訪れたお坊さんを「返品」はできないのですから、事前にその情報公開を渋るようでは、天下のAmazonの信用も落ちるというものです。

冒頭に述べたように、「そこまでして供養をしたいか?」とは皮肉ではなく、まだそのような気持ちが人々の心にあるということを有難く思います。
しかし、それでもこのような派遣のお坊さんが増える背景には、これまでの伝統仏教のお坊さん達の怠慢と驕慢の態度が最大の原因としてあるのでしょう。
私もその中の一人として、全力で変わらなければと切に思っています。
しかし、時代の流れは我々も追いつかないような速さです。そこにはもう祈るような願いしかありません。何度も言いますが、お寺は住職のものではありません。社会としての公共財です。それを一部の住職が私物化してしまったことが、現代のお寺を取り巻問題の一端にあると考えます。AKB48の前田敦子さんではありませが、どうかお坊さんは嫌いでも、お寺は嫌いにならないで欲しいのです。

「寺院崩壊」は音を立てて進んでいます。左うちわで生活しているように見えるのは都会のほんの一部の僧侶だけです。地方の寺では住職は雇えず、僧籍を持っているものも別の仕事を持ちながら自費でお寺を維持している人も多いと思います。少子化や過疎化が進み、数少なくなった檀家さんだけではお寺は守れないのです。

とにかくお坊さんであれば誰でも良い、とにかく供養をしてくれればそれで良い、というAmazon式の供養のあり方が示す時代の方向性は、やがてそれ自体が先細って行く運命を内在しています。
いや、Amazonからすれば10年先、20年先もこの形態で儲けて行こうとは考えていない筈です。まるで焼畑農業のように収穫できる時に収穫して、土地が荒れれば次の場所に移ってしまうのでしょう。

当たり前のことですが、お坊さんが変らなければならないのです。
しかし、時代の流れには腰の重いお坊さん達の意識は追いつかないでいます。
「お寺などという場所は社会には不必要だ」と考えているのならば構いませんが、私個人としてはお寺も神社も教会も、社会には必要な場所であると信じています。
そして、そのように考えている方も多いと思います。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないですが、憎い坊主と一緒にお寺まで消滅してしまうのは実に悲しいことです。
情けない事ですが、お寺を護るのはお坊さんではなく、檀信徒を含めた一般の方であると考えた方が良いのかと思っています。
いや、本来はそうなのかもしれません。
寺院護持、ひいては仏教の教え、或いは供養というものをお坊さんの専売特許にするのではなく、一般の人々が主体的な立場で関わるべき時代になるべきです。
皮肉なことですが、イオン、Amazon式の提供する供養のあり方は、本来お寺のあるべき姿を逆説的に浮き彫りにしてくれたのかもしれません…。








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