終活について 其の五 「弱さの思想」高橋源一郎+辻真一 より 高橋源一郎 終活

「弱さの思想」高橋源一郎+辻真一 より

…島には旅館がたしか二軒しかない。
電話をかけたら、「泊まるのはいいけど、私、今病気だから世話ができない」って言われて、「いいです、泊めていただければ」と行ったわけ。港のすぐ前にある旅館です。
…本当におばあさんが布団を敷いて寝ていた。
「ご飯作れないよ」というから、「どっか食堂はありますか?」って聞くと、「あるんだけど、今日は法事で貸切り」って(笑)。
どうしようかなと思って二階の部屋に入って、二時間くらいたったら、下からいい匂いがしてきた。降りて行ったら、台所でだれかがご飯を作ってる。
「どなたですか?」って聞いたら、「隣の者です。おばあちゃん病気だから来たの」。
「何作ってるの?」「あんたたちの夕飯だよ」って(笑)。
ご飯を食べてたら、話を聞いた人が魚を持ってきてくれた。
「お金はいらないよ」って、食べきれないくらいのお刺身もでてきた。
話を聞いたら、「ここでは困ったら他の人が来てやってる」っていうんで、「これはすごいことだ」って、この島のシステムを調べることになったんです。

(中略)あそこには、人が生きて死ぬ場所だっていう感じがちゃんと残ってますよね。我々はとりわけ死を隠してしまい、死を見ようとしない。死が文化の一つではなくなってしまった。祝島の人たちは「死ぬまでどうするか、それまでどこに住むか、だれとどうやってすごすか」を具体的に考えていると思います。都会では、死を具体的に考えるようになってないから、死はないような気がしてくる。でも、実際には、一人ひとりが個別に死と向かい合わなきゃいけない都会のほうが、よほど悲惨なわけです。」

「弱さの思想」高橋源一郎+辻真一(大月書店)より


 他者に寄り掛かるのも、寄り掛かられるのも迷惑と考えるのは仕方のないことかもしれませんが、そのような「お互い様」を面倒なこととする社会も息苦しいものです。人は決してひとりでは生きて行けないのですから、誰かの手を借りずには生きることも死ぬこともできません。誰かに寄り掛かることができない状況では結局お金を仲立ちしなければ、自身の身の回りのことは出来ないのです。
 経済とは、このようにして互酬性(お互い様)を無くし、個々を分断することで生ずる人間の脆弱さに付け込み大きくなる側面もあるでしょう。或は双方向の関係である「お互い様」で生じる人間関係の面倒を「金銭によって買い取りますよ」ということで成り立つ面もあるでしょう。高度な消費社会が進んだ都市部においては、一人で生き、一人で死んでいくことが可能です。しかしそれは誰かをお金で動かすことしかできない社会の在り方です。
 世界規模で格差が開き、固定化されています。莫大な借金と超高齢化の社会となるこの国の行政サービスもあてにできません。これからの世界を生きる子や孫の世代は益々困難な時代になるでしょう。彼らの時代において「一人で生き、一人で死ん行く」という生き方は、現在よりも更にコストがかかりリスクも高くなるでしょう。勿論、お金を持つ者はその選択肢もありますが、持たざる者は人との縁が命綱なのです。

 私たちは子や孫に、他者を出し抜き、15%の勝ち組に生き残る術だけを教えるべきでしょうか。85%の持たざる者になった時の生き方として他者と支え合う知恵を授けられるのも現在の終活世代の方々なのです。人々が貧しいなかにも助け合い、支え合って生きてきた時代を知っている最後の世代なのです。
 既出(終活について其の壱)の小谷氏のお話しのように、「あとは任せる」と一言言い遺せるような人間関係を築く為の結縁づくりこそが、これからの時代の終活ではないでしょうか。

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終活について 其の五「弱さの思想」高橋源一郎+辻真一 より